宣教師の生活

先日、夫は教会の男性だけの夕食会があって、教会で夕食をしました。
ちゃんとゲストスピーカーも来てくれての夕食会だったそうです。

** 私たちは、子供達とバーガーキングに食べに行こうとしていたのですが、次男の態度が悪かったので中止でした。(次男は皆に恨まれました)

夫が帰って来てから、ゲストスピーカーの話を話してくれました。
私にとって、ものすごかったので皆さんにも是非知って欲しいです。
(私だけがすごいと思っているのかもしれませんが、、。)


Aさんの父親

Aさんの両親は宣教師で、Aさんが生後6ヶ月の時に、メキシコの南部のジャングルに家族で行ったそうです。

Aさんのお父さんは、数カ国語を話せる人で、言葉の通じない部落に行き、現地人と住む中で現地の言葉を学び、それを聖書として訳すのが仕事だったのだそうです。

メキシコはどんな小さな部落にもカトリックの教会があるのだそうです。
カトリックの教会は良いのもあるのかもしれないのですが、悪いのも沢山あります。
(もちろんプロテスタントも同じですけれど、、)
その部落の教会も悪い教会の一つでした。

神父は金曜日の夜に酔っぱらってその部落に来て、酔っぱらって話(どんな話か分かりませんが)をして帰るのだそうです。
だから、その部落の人たちは神父というのはいつも酔っぱらっているのだと思っていたそうです。

その部落はいつもひと家族に8−12人の子供がいるのですが、その半分は病気でなくなるのだそうです。
子供が亡くなった時には教会の鐘が鳴るのだそうです。

Aさんのお父さんは、「宣教より医者が必要だ。」と感じ、医学書の本を読みあさり、病人が病状をうったえたら、それに合わせて医学書を見、薬をあげたりしたそうです。
(1980年代のメキシコ、今では免許がないと違法行為です)

でも、そこの部落の人たちは全く薬を呑まなかったそうです。
それは、タダだったからだそうです。そこで、薬代を取るようにしたら、みんな薬を呑むようになったそうです。

宣教団体(支援をもらっている所)から通訳の為に送られているのに、現地語の聖書ができないと、苦情があったので、その宣教団体からはなれて、アメリカの各教会から寄付を集めて、医療活動を続けられたそです。

子供達は大腸菌が沢山いて、薬をあげるとお腹の虫がドンドン出て来たそうです。
Aさんのお父さんは、それを集め、写真を沢山撮ってアメリカの各教会を回ると、多くの人たちが子供達を可哀想に思い、沢山の寄付が集まり、医療活動が続けられたそうです。

そして、その部落の教会の鐘ももう鳴らなくなったそうです。
死ぬ子供がいなくなったのです。


ある日、アメリカから医学博士が来ているとき、Aさんのお父さんは出産に立ち会い、子供を取り上げたそうです。。
それが逆子だったのですが、手でおなかを動かし、無事出産を終えたのです。

医学博士 == これはすごい!! たいしたものだ!! どこでこれを学んだの?!!

Aのお父さん == あ〜、、。あなたの本を読んだんだよ。

医学博士 == それにしてもすごい!! 僕たちは器具が沢山ある中でこういう事をするのに、全く器具なくできるなんて!! 

Aのお父さん == あ〜、、。器具なくできる方法も、あなたの本に書いてあったよ。

医学博士 == それにしてもすごい!! 

と、その医学博士はAさんのお父さんがした事を、絶賛し続けたそうです。

Aさんのお父さんは、「その医学博士の本に、自分のした事全部書いてあったのに、、。」と、笑い話になった程だそうです。



Aさんのお兄さんに問題があり、アメリカに帰国しなくてはならなくなったそうです。
そしてそのお父さんの医院にはメキシコ政府の医者が来たそうです。

Aさんのお父さんはクリスチャン大学の先生をし、同時に近くの教会の牧師もされたそうです。

Aさんがアメリカに帰国するまでは自宅学習(ホームスクール)をしていて、アメリカの公立学校に行ったら3年前に家で学んだ科学の本などをしていて、勉強がとてもつまらなかったそうです。

Aさんの夢は、細菌専門の医者になりお父さんともう一度そのメキシコの部落に行く事でした。
ところが、お父さんは癌におかされたのです。

大学病院の医者 ==  アメリカで一番のこの癌の医者がいるのだけれども、行きませんか。

Aのお父さん == そこに行って、治る確率があるのですか。

大学病院の医者 == 治る確率はありません、でも長らえます。

Aのお父さん == どうせ治らないのなら、無駄なお金は使わず、家族に残しておいてあげたい。

と言い、専門の病院に行くのを拒否されたそうです。

Aさんのお父さんは抗がん剤を服用していましたが、80年代の事。
彼のベットの横にはバケツが置いてありました。それは、抗がん剤の副作用で、はくためにです。

それでも、お父さんは現地語に訳した聖書を作る為に、はいてはタイプライターを打ち、タイプライターを打っては、はいていたそうです。
Aさんのお父さんは、1月に癌を発見して12月には亡くなられたそうです。

Aさんは医者になりました。でも、細菌専門の医者ではなく、癌専門の医者になりました。

Aさんのお父さんに、大学病院の医者から「癌の専門医です。行って看てもらわないですか」と勧められた医学博士のもとで学ばれたそうです。

Aさんは
人間、癌だと知った時には、今までしていた全ての動きが止まる。

その時に自分の事、家族の事、そして死について考える。

私はその時に、主イエス様の愛を話していきたい。
と語られたそうです。



** 〜 私の母 〜 **

母が、不治の病で病院に入院している時に、こんな会話をしました。

母 == なんでこんなやっかいな、治りもしない病気になったものか。

私 == 母さん、母さんは頑固だから、もしこの病気をしないと、一生主イエス様を知る事はなかったかもしれないよ。

母 == そうだねぇ。感謝かねぇ。

彼女の病室で、死ぬ事も良く話をしました。母は死ぬ事を怖がらずに死にました。
私はキリスト者なので、主イエス様の愛なしには生きていけません。
でも、主イエス様の愛を知っているので、死ぬ事も怖くないのです。

主イエス様に感謝です。

つまらない話だったかもしれませんが、読んで下さってありがとうございました。





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by chiekol | 2006-05-02 11:33 | 全能の主


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